田辺祭りの流鏑馬について

 

 流鏑馬の詳しい発祥時期は不明ではあるが、江戸時代後期に、当時の武家屋敷の田所氏が、三頭の馬を寄付したことが始まりだと言われている。町の住民の一斉にお祓いすることを目的とし、長年にわたって町民にありがたがられ、愛されてきた。当初は、沢山の馬を走らせ、競馬のように楽しんでいたそうだが、国道が敷かれてからは、馬が走れる道が無くなってしまったため、現在の止まって矢を射る形になった。一般的な流鏑馬では馬に乗るのは大人だが、田辺祭りでは子供が乗る。その理由は、子供が神さまだからである。身近な例に、父親が子供を肩車して歩き回る熊野本宮大社の湯登神事がある。この流鏑馬には、中屋敷、上屋敷、下屋敷、新屋敷、今福町の五町が参加し、各町の代表一名ずつが馬に乗る。以前は五町間の対立があったらしいが、「祭りは一緒にしよう」と団結したらしい。

馬について

下三栖の農家さんから借りている(2018年)

写真のフラッシュ、信号機、観客の拍手で馬が驚く

外国人観光客の増加により、英語での注意の呼びかけも行っている

子供が射た矢が馬に当たり、転倒することも

今年の猛暑により馬がすぐにバテる→二日間持たず、交代を強いられる
涼しい年は、馬が元気すぎて子供が落ちることもあった
暑さ対策として氷で体を冷やしたり、スポーツドリンクを飲ませたりする

田辺祭りの日は、波が高くなると云われている
唄われる馬子唄は、「伊勢節」と言われるものであり、波が高いけれど頑張ろうという内容である