安政の道
安政4年(1857年)11月、幌別場所請負人岡田半兵衛が私費で登別温泉への新道を開削した。
白雪幼稚園が近くにある。このあたりに石材が盛んなころ、登別軟石の鳥居があった
アオノ産資の手前付近
チャラツナイに入ると道は笹で覆われているが3mほどの幅員があったっことがわかる
チャラツナイの源頭付近、4~5mほどの落差のある崖がある
こんな笹だらけの道をいくと登別伊達時代村付近で道が無くなる
時代村を過ぎて道が復活する、カモイワッカの手前付近
現在の道々洞爺湖登別線と接続するあたり
つづく・・・・・